『「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス (光文社新書)』好井裕明著20060313

数ヶ月ぶり。
というよりも、新年初であったことに我ながら驚いています。


ここのところ良いことが続いています。
まずはその中のひとつ。
質的研究の心構えを丁寧に「記述」した二冊の本。


佐藤郁哉 『フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる新曜社
「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス (光文社新書) 好井裕明 『「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス (光文社新書)


特に好井さんの新書は250頁ほどでコンパクトに、しかしかなり包括的に「質的調査」の先行研究を概観しています。そのうえで質的調査のマインドを抽出、調査分析の概念までを射程に、あくまで社会学研究のための社会調査という位置付けから記述・分析が丁寧に著されています。
この、好井さんの著書のなかで最も興味深かったのは「カテゴリー化」への批判の眼差しです。
著者はこれを、私たちがあたりまえに行っているものと社会学的な営みとしてのものというように、ふたつの次元で語ります。批判の眼差しが向けられるのは前者。その内実は、たとえば男女の性別役割分業や権力構造といったものが一方的に男性から押し付けられているものではなく、相互補完的に構成されているものであるという論理と同様、「カテゴリー化」する外部からの視線と、「カテゴリー化」されその論理を生きる内部の実践とに共に批判的視線を向けるというものです。
これは、具体的には内部からの語りに見られる「外部の視線」を記述することが、ひとつの道となるでしょう。
(「外見的『自発性』」や「強制と自発性がないまぜになった心性」の社会学的な解明が課題のひとつとおっしゃっていた先生の関心が、今わかったような気がします)
この問題意識にはとても共感します。
しかし実際に研究論文を書こうとすれば、日常の営みとしての「カテゴリー化」と、社会学的な営みとしての「カテゴリー化」との線引きに、どのように正当性・妥当性を与えるかという疑問が残ります。
著者自身はこの点について決して多くを語っていませんが、「"生きられた"カテゴリー」というものが、何らかのヒントになるでしょう。
また、好井さんは「常識的信奉」という言葉を使って、日常生活世界を生きるひとびとの信憑性構造を表現しています。常識的信奉、信憑性構造、コード、認識の枠組み……おそらくこういった呼び方はいくつもあるのでしょう。そのどれが最もふさわしいかはゆっくり考えるとして、ともかくシュッツのあるいはより根源的にはフッサールの問題意識が息づいていることには嬉しく思います。その反面で、それがまさに常識になりつつあることに警戒しながらではありますが。
ふたつのレベルの「カテゴリー化」をめぐる問題は、学問論に連なる根の深い問題であるため、これについて多くが語られていないことは、本書に対するマイナス評価の要因とはなりません。むしろこれは、好井さんが課題として提示してくれたものでしょう。


本書は「質的調査」についての文献としては最も読みやすい部類に入るものでしょう。内容についても値段からしても(なんといっても新書で読める!)。
4月以降の社会調査系の授業で、必読文献に挙げられるのは間違いないでしょう。
掛け値なしに良書です。