壁〜隔たり20050524

信念に捉われ、見るべきものを見ていなかったことに気づきました。
まずは、気づかせてくれた恩師に感謝。

「見えるものが見え、見えないものが見えない」という意味のことを、ルーマンは言うのだそうです。
「信憑構造」「意味体系」「回路」……どのような言葉を使っても良いのですが、つまりは自分の都合の良いようにしか物事を見ていなかった、ということです。
私の場合、まずここに第一の壁があって、つまり「見えないものを見ようとする」ことの困難です。見えていなかったことがあるんだなぁ…と、ここまでは分かっても、ではその見えていないものをどう見るかについては、なかなかうまくいきません。
角度を変えてみたり眼鏡を変えてみたりしても、肉眼で捉えられなければやはり見えないわけです。可視化のための装置をどこかで見つけてこなければ、壁に押しつぶされてしまいます。

現状、できることといえば「やりたいこと」のWhatとHowを整理することです。そして、これが一番やっかいなのですが、Whyを真剣に捉えなおさなければなりません。この「なぜ」の部分が、信念の奥深くに沈殿していたということには気づいたのですが、そのことと自らの奥底を抉り出すことはまったく別であり、これが難しいのです。

しかし、壁が見えてきたというのは良い徴候ですね。これまではうっすらと、漠然と見えていただけでしたが、こうして目前に立ってみれば戦略も対策も立てられるわけですから。
とはいえ、回り道をしてでも壁を避けようとするかもしれませんが……(笑)

語りえないものの領域を意識しつつも、やはり語りたいですね、私は。