抗い難い衝動20050827

今日、とてつもない哀しみに出会いました。
彼が抱えているものは、誰にも共有できないでしょう。
しかし、彼の哀しみを、自分の視点で受け止めて、新たな力にしていこうと思います。
彼の生き様はすごい。
自らの傷を教材に出来る人は、なかなかいないと思う。


どん底に落ちて、そこから見える景色は、あらゆる原動力になる。
どん底で、絶望して、そこで世界と向き合っていると、何かやっていないと自分が保てなくなる。
それが自分を動かして行くのでしょう。
そこにはある種の開き直りやあきらめ−−仏教でいう「諦」「明らかに見極める」−−があるのだと思う。
それがとても哀しい。
どうしようもないことがあることをはっきり認識していて、それでも、それを何とかしたいと思わずにはいられず、もがきながらも進むしかないような、そんな感覚。ただ、そこにはほんの少しの、どうにかなるかもしれない、という希望がある。
許されないことを知っていながら、贖罪をし続けなければならない、どうしようもなく抗い難い感覚。
そのなかに、いつか許されるかもしれないという、ほんのかすかな希望があって、それは間違いなく原動力にも、羅針盤にもなっている。
そこが、ものすごく哀しい。


ただひとつ。
教育は哀しみを生み出すものであってはならない。
いま言えるのは、これだけです。